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そればかりではない。
近年では中高年の出向者が、子会社での働きぶりがよほど抜群でなければ、あるいは本社の業績回復が思わしくなければ、本社での従業員身分を奪われて子会社へ転籍させられつつある。
たとえば94年10月27日、圧延工場を中心に40年近く新日鉄8幡製鉄所で働いてきた55歳の原国夫氏は、労組主催の退職式に招かれた。
列席した退職者492人のうち、60歳の定年退職者は約30人にすぎず、他は原氏と同じく、いまの出向先の会社に転籍した人びとだった。
その春、会社は55歳以上の出向組合員への転籍の要請、事実上は拒みきれぬ要請をふくむ鉄鋼部門7000人の合理化を提案している。
「57歳以上で本人が希望する場合」のみ転籍とするという従来の労使協定の大きな改定であったが、組合は激論の末、これを受け入れた。
「出向支部長」をつとめていた原氏は、割力切れぬ思いながら、この組合に承認された措置に従うほかなかったのだ(『朝日新聞』1994年11月5日)。
94年度だけでも鉄鋼大手企業からの転籍者は7000人を越えたという。
96年には川崎製鉄がさらに踏み込んだ。
ここでは2400人ほどの人減らしを見込んで、97年6月から転籍対象年齢が「56歳以上」から「52歳以上」に引き下げられるのである。
リストラとからみ合ったこの能力主義的選別はこうして、労働者の働く場所の不安定化とともに、定年年齢の延長の実質を虚しくさせるような、「定年までは働けない人の増加」をもたらしている。
希望退職の募集転籍にいたる出向はソフトなかたちの解雇である。
しかしもちろん、90年代の平成不況期には、もっともハードなリストラとしての直接的な人べらしもまれではなかった。
労働省の企業調査によれば、92年9月以降の2年間になんらかの雇用調整を実施した企業は61%であったが、うち希望退職募集・解雇をおこなった企業も規模999人以下でこー%、一00○人以上で8.5%に上った。
この措置で退職を余儀なくされた従業員は一社平均で二一人、大企業で130人である(『朝日新聞』1995年3月28日)。
そして90年代半ばのいま、景気の回復とともにハードな雇用調整は「一服」の状態にあるとはいえ、労務管理の人べらし基調は続いている。
失業率はなお3.4%ほどに留まっていること、数十万人の「非自発的失業者」は増加傾向にあることなどがそれを物語る。
「非自発的失業者」のうち増加率が大きいのは中高年齢層である。
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